岩崎建築研究室・日誌II

京都・下鴨の設計事務所。茶室のリフォームや新築をメインに、和風住宅や和菓子舗、日本料理店、和風旅館、古民家改修などの設計監理を行なっています。

初釜

着物を着てお稽古場の初釜へ。今年は例年と違った趣向で、二組に分かれて八畳立礼の薄茶席と一畳台目の濃茶席、その後全員で広間で点心という流れ。

 
待合掛けは横山清暉の正月飾り横山清暉1792-1864)は江戸時代末期に活躍した四条派絵師松村景文の弟子で、中島来章岸連山塩川文麟らと共に、幕末画壇の「平安四名家」と評された。
 
最初は立礼の薄茶席。掛け軸は「鶴飛高九天雲静」
四海浪平龍睡穏
九天雲静鶴飛高
しかいなみたいらかにしてりゅうねむることおだやかに
きゅうてんくもしずかにしてつるとぶことたかし
香合は丹嘉(たんか)。伏見人形は江戸後期に最盛期を迎えた郷土玩具。当時伏見街道には160軒もの窯元があったそうですが、現在残るのは寛永年間(1750年頃)創業の丹嘉のみ。
 
濃茶席。今日庵写しの一畳台目。前の席では別の組の方々が大人7人子供2人、ご亭主も含めると、二畳のスペースに10人。一体どうやって入ったのか、躙口から出てくる様は、三万二千の師子座が入ったという維摩居士の方丈のよう。我々の席は客六人でしたが、なんとかギリギリ客畳に座ることができた。正客をさせていただいたので、床前、少し点前座に入った状態で。
 
釜は乙御前、鐶付は言わ猿。向板の上には小さな竹の花入に紅白の椿。確か本歌にはコブシの中柱の高いところに花生釘が打ってありましたが、小さなものであれば、こうして向板の上に置くのも良いそうです。炉縁は久以。先代の先生が桐蔭席で釜をかけるなら、と求められたものらしい。利休時代の名工としては「久以」「長以」「半入」など。当時の炉縁は、組み立て式でバラバラにすることができ、四本まとめて旅箪笥に納まるようになっていたとか。また、使う度に洗ったので「洗い縁」とも呼ばれ、水に強い沢栗材が用いられたとのこと。沢栗は深山の沢筋に生えている栗材。主茶碗は了入の赤。茶杓は坐忘斎、銘深玄。追取は太めで櫂先は短め、円能斎の茶杓の形に似ている。
 

賀茂川の梅が咲き始めた。
 

蝋梅は梅より先に。