岩崎建築研究室・日誌II

京都・下鴨の設計事務所。茶室のリフォームや新築をメインに、和風住宅や和菓子舗、日本料理店、和風旅館、古民家改修などの設計監理を行なっています。

平八郎の雨

京都国立近代美術館の京都画壇の青春展を見てきました。三条での用事を済ませてから岡崎へ。自転車でくるっと廻れるコンパクトな京都の街のサイズ感も好き。

展示冒頭の栖鳳のサンタンジェロ城の掛軸がかっこいい。栖鳳、松園に続く新世代たちということで、土田麦僊を中心に小野竹喬、榊原紫峰、岡本神草などの作品がたくさん。

 

大きな掛け軸に仕立てられた作品も多かった。だいたい2箇所で掛けるようになっていて、三幅対用の走り釘を使用する想定か。真ん中を竹釘にすると邪魔になるかも。これらをかけられる床の間というのも、それなりに大きなものでなければならない。部屋も八畳では少し狭いかも。二間半四方の十二畳半か、三間×二間半の十五畳が必要か。こんなお軸をお持ちの方に、「これに相応しい現代の床の間と座敷を設計せよ」なんていう依頼を受けてみたい。

 

4階のコレクション展では思いがけず、以前より実物を見てみたかった福田平八郎の「雨」。しかも撮影OK。嬉しい。

 

シンプルにグラフィック化されていますが、よく見ると、きちんと納まった瓦と、少しズレた瓦が、適度なバランスで配置されているリアリティ。

 

表面のテクスチュアは間近で見ることができて初めて感じることができる。

 

瓦は画家が画室の窓のすぐ下にいつも見ていたもの。「ある日、夕立が来るなと窓を開けてみると、もう大きな雨粒がぽつぽつと落ち始めていた。雨粒は真夏の太陽に熱せられた瓦のうえで、大きな雨脚を残しては消え、残しては消えてゆく」という光景をそのまま写した作品。(東京国立近代美術館HPより)

 

屋根が建売のコロニアルではこうはならない。本物の素材を使った、絵になる建築、というものを設計してゆきたいと思う。

 

額縁の中に、描かれたキャンバスが納まっている。

 

福田平八郎は下鴨に住んでいたらしい。京都で絵描き村といえば、堂本印象や小野竹喬、木島櫻谷、土田麦遷、菊池契月らが住んだという衣笠絵描き村が有名ですが、下鴨にも、多くの日本画家が住んでいたようだ。

 

今尾景年(1845-1924)

猪飼嘯谷(1881-1939)

不動立山(1886-1975)

福田平八郎(1892-1974)

岡本神草(1894-1933)

池田遙邨(1895-1988)

徳岡神泉(1896-1972)

幸田春耕(1897-1976)

 

以前住んでいたすぐ近所に池田遙邨のお孫さんが住んでいましたし、猪飼嘯谷旧邸もすぐ近くで、当時は表具屋さんになっていましたが、表具屋さんが移転した後に残念ながら取り壊されてしまった。そこで修行した表具師さんの話では日本画家の家らしい良い建物だったとのこと。趣味の良いお金持ちはこうした旧邸を残すためにお金を使って欲しいと切に思う。

 

小野竹喬(1889-1982)の作品もたくさん見ることができた。現代日本画壇で最高の風景画家。鮮やかで透明感あふれる色彩、単純化された構図の中に漂う気品。見ていて素直に良いなあと思える作品の数々。

 

「暑き日に海に入れたり最上川」「奥の細道句抄絵」は最晩年作品。87歳で取材を始め、88歳で発表、89歳で他界。

 

「象瀉や雨に西施がねぶの花」象瀉(きさかた)は秋田県にかほ市にあった無数の小島が点在する入江。西施(せいし)は、越の国から呉の国王に献上された中国古代の美女。「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しさをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。」(奥の細道